平凡だということ

誰かの何かになるということ

夜に溶けていくような

身の丈を遥かに超えた悲しみにぶっ飛ばされて1週間が経過した。

 

どん底から見た景色はひどくリセットされていて、触れないセーブデータを横目に

次の冒険の書に手を付ける感覚だ。

 

視界に入り脳が認識するのか、意識の外ですら目で追っているのか、

いまだに残像ばかりを探している。

 

悲しいときの過ごし方なんてものもいくつか当てにした。

別のことに没頭した後、嫌な感覚が体に残る。

 

あ、今忘れられてた。

 

音楽や酒に呑まれても着地点だけが変わらない。

流れ着く先はいつも同じ場所。

 

感情をコントロールしている。私たちは常に。

理性が働いているうちの話だ。自分の想定していない量の感情の指数が身を襲ったとき、

これまでの人生から得た知識は隠れるように息を潜めていた。

 

涙も愛の味も最後にわかった。渦の中にいるときは真ん中に居すぎて自分と

相手の形をなんとなく認識していただけ。把握していた気になっていただけ。

 

完治したつもりでいた胸の傷は勝手に開いて思いを私の身体中から溢れさせた。

 

今私から流れていく言葉は世間体のを気にしていない本当の言葉。

内側で血液に流され続けて居場所を見つけられなかったものたち。

 

ゆっくりと溶けて。そして冷めて、この熱りも。

 

いつの日かの私のハッピーエンドに祝福を。

 

それでは。