8年間考えていたこと。
携帯のメモやPCの名前がないファイル。
気になって開いてみるとほとんどが自分のことだった。
この何年間のメモから汲み取れたのは近況や収入、恋人の有無そんなことではなく、
今の自分の気持ちがどうかだった。
軸は常に同じで、今自分は幸せなのか?とか自分に合っているのか?
と何年経とうが同じ問いを自分に繰り返していた。
この気持ちの発端はきっと大学のときくらいからだ。
今の自分が取り組んでいること、時間を割いていることがどこか合っている気がしない。
自分の心が求めているのはこれなのか?と感じながら日々を過ごす感覚。
しかし何千時間考えようとも答えはなかった。
当然だ。その解を今までの知見で得てはいないし、自分一人の頭で分からないことなど
時間が解決するわけでもなかったからだ。
記事も、偉い人の本もベストセラーも読んだ。その瞬間、理解や納得はする。
でも血肉にはならなかった。それはその人が考える一つの正解だから。
今日こんな記事を書いているのはおよそ7.8年にわたっての自分の謎がわかって心が踊っているからだ。自分が何が好きで、やりがいは何か、本当にわからなかった。
こんな人周りにいるのか?というほどしたいことが分からなかった。自己分析サイトも他人からのアドバイスもイマイチ効かなかった。
さて長くなった。そんな私はどうやって答えを見つけたか、
広告でもなんでもない。 STRENGTH FINDER だった。
なんの収益契約も結んでない一個人からの発信なので構える必要はない。
正直驚いた。この結果がただ自分に近しい答えを羅列しているだけだといても、
私自身を十分に納得させる着地点に導いた。それは私の生きていく上でのヒントになった。
名前を聞いたことはあった。というか転職期間中で嫌でも自分とは何かと向き合う時期ではあった。田村書店のこういう本が揃う中で一番高く、2200円もするんだと渋った自分もいた。
私にとってSTRENGTH FINDERの何がそんなに良かったか、
自分が感じていた気持ちとか、考え方、感性などの名前を知れたのだ。そしてその詳細も。
探したいものの名前を知らなければ、この広いネットワークの海も意味を成せなかった。
衝撃は大きかった。悩んでいた年数が長かったから尚更かもしれない。
私は私のことを紹介できなかったが、この本の言葉たちは間違いなくそれを助ける。
それぞれの自分というものがわかりやすく言語化されているからだ。また考えもしなかったその側面や使っていたものと別の言葉も教えてくれた。
今、なんなんだ私って、とか。
好きなものが本当にない。だから仕事も選べない。人生設計もできない。
と思っている人たちへ、ぜひこの本を手にとってみてほしい。
この本がもたらした結果を全て語るつもりも何もない。それぞれで気づけると私は信じている。プロモーションではないからそれでいいと思っている。
私も午前中までそちら側だったから、同じ悩みを抱えている人が少しでも減るとすれば、私にとっても喜ばしいことだから。
それではまた。
負け犬のファルセット
忘れたいことを、忘れられないから文字にして歌にして、
それを聴いて思い出して苦しくなって、
何年経ってもその日に吸い込まれる気がしている。
記憶を上書きして日々を過ごす私たち。
最近は私も都会の方に足を運ぶ機会が増えてきた。
スリッパでも革靴でも、私の足は硬いタイルの街を歩き回っている。
主要部の街を歩いていると社会の縮図をこの肌で感じる。
歩道橋や交差点で人とすれ違うたび、視線を差し合う。
色んな正義や悪が介在している。
時に私たちは強く、弱い。
そこには本当は誰の評価基準も是悪もない。
でも私たちは日々疲れている。
私たちは酒や煙草や欲に溺れる。何かのバランスが崩れて不安定になると一層
弱い生き物になる。大衆の目も法の存在なのか、それとも本能の奥にある真の理性なのか、
普段の私たちはまともなフリをして生きている。人とは違う目線で生きていると認識に悦に浸っている。またその存在をも指差し笑う人もいる。
でもそれの何も悪くない。人間の構造的に仕方のないもので非難はできない。
多種多様な存在が凝縮されたカオスな車両が太い時間軸を進んでいる、みたいなイメージを私は今の世界に抱いている。
自分はどの場所に値するのかとか考える必要はない。
莫大な価値観が存在する世界と共生しているから、自分を見失いそうになる。
だからきっと周りを見渡す。でも正解はない。
あなたはあなたで一人。一つの存在。それがたくさんあって世界がある。
なんだ謎だらけで理不尽で融通効かないクソゲーじゃないか。
でもこのゲーム自分は操作できる。コントローラーを握れる。
環境のせいにしてきたが、環境を言い訳の対象に過ごしているだけだったり。
特に私なんかはそうで何も成し遂げてこなかった。
腕が上がらなくなるほどの筋トレも、肺が爆発するほどのマラソンも、
限界を突破したこともない。保身や自分の尊厳も気にせず言えるが、
基本的には負け犬の戯言だと思っている。
それでも、こんな風に何かを考えて言葉を発するのは
負け犬のこちら側からしか見えないビジョンがあるからだ。
虐げたい思いも醜さも内包したこの言葉が誰かに届けばと思ってしまうからだ。
どうしようもない自分を救いたいからなのだ。
どこぞの何者であっても、幸せを感じとる機能は備わっていて、
幸いにもほとんどの人がそれを掴める環境にある。
自分と同じ思いをしたことのある人をミリ単位でも
その人々の描く理想に近づいて欲しいと願っていることに嘘はない。
自分で決めた何かのために生きてみて欲しい。
その幸せに向かって今の時間を使って、歩いて欲しい。
好きなことをして生きていけなんて言わない。苦労を伴ってもいいから
それでもこれだけは、という小さな夢をいくつも叶えてやって。
命が消えるその前にたくさん思い出せることが積み重なっているはずだ。
そんな風に、なんだか今日は思った。
それでは、また。
夏を迎える
何が起こったって時間は止まらないし、心臓が動く限りは私もあなたも生きている。
怪我した体も心も少しづつだが治るように出来ている。体は資本なのに、理解しながら蔑ろにする私たち。異変が起きてから野菜ジュースを飲み、ランニングを始める私たち。
心はもっと大事にするんだよ。
どれだけ科学の力が進もうと、主のあなたですら見ることも触ることもできない生き物。
涙も血も流せないが訴えかけてくる日はあるからね。
さて、何が本題だったろう。もともと何に縛られているわけでもないけれど。
最近は蝉は鳴いていないだけで、もうしっかり夏な気がしている。
出遅れたのか、機を伺ってるのか、まだ今年は見かけていない。
小さい頃から夏には特別な思いがある。
いつも求めていて、具体的なものではなく、ふわっとした感覚で期待している。
別に答えて欲しいわけじゃないからそのままなるべく晴れていて。
暑くていい。うるさくていい。その方が季節が終わった時、感傷的な気持ちになれる。
瞬間単位でも何かを肌で感じとって生きていたいなあ。
それでは。
夜に溶けていくような
身の丈を遥かに超えた悲しみにぶっ飛ばされて1週間が経過した。
どん底から見た景色はひどくリセットされていて、触れないセーブデータを横目に
次の冒険の書に手を付ける感覚だ。
視界に入り脳が認識するのか、意識の外ですら目で追っているのか、
いまだに残像ばかりを探している。
悲しいときの過ごし方なんてものもいくつか当てにした。
別のことに没頭した後、嫌な感覚が体に残る。
あ、今忘れられてた。
音楽や酒に呑まれても着地点だけが変わらない。
流れ着く先はいつも同じ場所。
感情をコントロールしている。私たちは常に。
理性が働いているうちの話だ。自分の想定していない量の感情の指数が身を襲ったとき、
これまでの人生から得た知識は隠れるように息を潜めていた。
涙も愛の味も最後にわかった。渦の中にいるときは真ん中に居すぎて自分と
相手の形をなんとなく認識していただけ。把握していた気になっていただけ。
完治したつもりでいた胸の傷は勝手に開いて思いを私の身体中から溢れさせた。
今私から流れていく言葉は世間体のを気にしていない本当の言葉。
内側で血液に流され続けて居場所を見つけられなかったものたち。
ゆっくりと溶けて。そして冷めて、この熱りも。
いつの日かの私のハッピーエンドに祝福を。
それでは。
上京生活②
←前回分
私の拙い脳が認識した彼の第一印象は、清潔感がある丸っこい男性程度だった。
オフィスで最もカジュアルなシャツを纏い、フワッとした無造作なパーマが印象的であった。
用意されたデスクに座り、部署の説明を聞いた。
黒目が限りなく茶色く、ギラっとした猫に似ていた。
目が合うと私が逸らすまで逸らさず、捉えられていることが体に伝わる目力だった。
そして、話すのがとんでもなく上手だった。なぜそこまで惹きこまれるのか理解はできなかったが、没頭して人の話を聴いたのは後にも先にもあれが最後だろう。
YESに導くのがこの上なく上手い。あの若さで出世している理由はすぐ理解できた。
それが課長との出会い。
私はなんとか懐に潜り込もうと必死に部署に入りたい思いを伝えた。
会社の中ではハードで志願者が少ないのを後から聞いて気は引けたが、
ど田舎から東京に出てきた私に恐怖心など二の次だった。本能で志願していた。
そうして私は課長のいる部署に配属されることになった。他の新卒は3人。
他の部署と比べると少なく、研修期間で仲良くなっていたメンバーだった。
本当の意味での仕事が始まった。覚えることなど言わずもがな多く、
メモ取るより脳に焼き付けろというスピードで知識がどんどん詰められていく。そしてすぐに実践、何より実践という社風だった。丸腰で戦場に放り出され、何かを持って帰ってくるスタイル。スライムでレベルを上げたいのに、知らない強い奴とずっと戦わされた。
課長は指示とアドバイスをくれるが答えは一切くれない。各々が出した結果から成功の手がかりを探させた。同期と傷を舐め合い、時には成長や才能の開花に驚かされた。この時期の時間は逆に濃厚でなかなか一日が終わらず困った。
配属されて数日くらいで、課長から飲みに誘われた。
正直かなり迷った。何を喋るべきか?そもそも何故私は誘われた?
脳はコンマ数秒停止し、相手に表情を悟られる寸前でYESの指令を体に出した。
私にとって初めての上司とのサシ飲み、そして初の下北沢だった。
続く。
上京生活①
今から約5年ほど前、私は大学を卒業した。
新卒で入社した会社は東京で、地元を離れることになった。
その時どうして東京の会社に入社すると決めたのか覚えてはいないが、
最寄駅が存在しないほどの田舎から急に東京に行くのだから、正直気は進まなかったことを覚えている。
新幹線に乗ったことすらなかった私が、なんとか練馬の家にたどり着いたのはほぼ奇跡だった。東京にもモノレールってあるんだとか考えながら、揺られていた。
後に発覚したがそのモノレールは完全に乗る必要のないものだった。
西武池袋線の練馬の一駅隣、中村橋という場所が私の新しい拠点だった。
小さな商店街やコンビニがポツンとある、閑静な住宅街。
とりあえずやることも友達もいない。ライフラインを確保するため家の周辺を行ったり来たりしてマップをインプットして、初日は終えた。
朝から晩まで社訓を読んだり、ウケるまで帰れないエピソードトーク大会をさせられたり、
その時点で察したがブラック企業というやつだった。世の中にはもっと辛い会社もあるだろうし、選択は本当に慎重にすべきだと学生の方々には忠告しておきたい。
慣れない東京に加えてとんでもない会社に入ったなということで、地元へ帰りたい気持ちは日増しに強くなっていった。しかし、そんな中素晴らしい出会いもたくさんあった。
研修期間、今でいう配属ガチャの前に、それぞれの部署を知る体験入部会があった。
そこで私は一人の男性に出会った。
本日はここまで、それでは。
大切な人と別れたあなたへ
本当に辛い別れというのはきっと誰の人生にもある。
絶望の底に座って、光明を探す気力もない。
何をどうして生きていけば自分は楽になるのか。
本来、もっとも大切な人と過ごす時間ほど人生で有意義なものはないはずだ。
私たちがその価値に気づくのはいつだって終わってから。もう会えなくなってから。
綺麗事のように言葉がどんどん浮かぶのは最後のその瞬間になってから。
ネガティブな出来事を忘れようとするのは不可能だ。
孤独や不安はどこからも襲ってくる。
だからその自分ごと抱きしめる。
その人と過ごした記憶は言葉や見るもの聞くもの、または自分に全て宿ってまだ残る。
次の日から、その瞬間から忘れてまっさらな人生を生きるなど、常人の為せる業ではない。
それはきっと愛してなかったのだろう。
何かで紛らわす、誰かと笑う、酒を飲む、タバコを吸う、
1mmずつ時間は解決の方向へと自分を動かしていく。思いを滲ませて薄くするように、たくさんの他のものを浴びようとする。それもいいだろう。
しかし
行き場のない気持ちを、もしまだ受け止めてくれる人がこの世にいるならば吐き出してほしい。離れて初めて気づいたことがあるのならば、それを相手に伝えなくてはいけない。
それは寂しさを埋めるためではエゴでは無く、自分を省みることにつながるからだ。
もし伝える人がこの世にいても、いなくても、
心の底までしっかり沈み、目を閉じ、全てを隅々まで思い出す。
幸せな日々もそうじゃない瞬間も、スローで客観視する。
そうして最後に傲慢さ、後悔、悲しみが出揃ったら自分が見えてくるはずだ。
それはあらゆる意味で次に進む道を示してくれる。その答をどう使って自分の人生を生きていいくかはあなただけが決められることだ。
私もその一人だから。
強く美しくなってほしい。
それでは。