平凡だということ

誰かの何かになるということ

愛しの月曜日

その時間の感じ方は違えども、日々は連続している。

 

疲れは少しずつ蓄積していて、休みの前日は早く仕事が終わることばかり考えてしまうものだ。

 

世間一般的に日曜の夜というのは、月曜日にもっとも近いため嫌われている。

 

月曜休みの私からすれば、もっとも愛しい時間なのだけれど。

 

予定もなかったので、昨晩は気の済むまで眠った。

 

 

私は毎日夢を見る。理由は分からないが、毎朝その記憶も強く残っている。

いつか見た夢と繋がったりもして、続編が味わえたりする。

昔は今よりももっと内容を思い出せたのだけれど、最近は少し曖昧になってきた。年齢のせいか、睡眠が少し深くなったのかは不明だが、いつの日か夢を見ることもなくなるのだとすると少し悲しい気分になる。

 

月曜休みの良し悪しには諸説ある。どこに行っても空いていて動きやすいのは確か。しかし行きたい店の定休日だったり、友人とのスケジュールが合わないことも多い。まあそんなことを加味しても、私はなんだかんだ月曜日と仲良くやっている。

 

ブログを書き始めて気づいたことと、それが私にもたらした変化がある。

 

私は今までより日常にフォーカスするようになった。

 

文章を綴っていると、今の自分の気持ちや思考が自然といつもより近い距離で感じられる。頭の中で浮かんだアイデアや、瞬間ごとに感じる気持ちというのは

大体何秒か後に忘れていたのだが、今はそれを捕まえて育てるようになった。

 

目的もなく携帯を見て踏んでいるガムに気付かなった私が、空や街をながめなが歩くようになっていた。それが正しいとか、人生にとってプラスになるとかはどうでも良いが、今の私はそれを心地よい感覚として受け止めている。

 

しかしいくら日常から搾り取ろうとも、思いつかない時もある。

 

たった20数年で得た知見だけで文章を書き続けるのは困難であるゆえ、本屋に行きたくなったり、新しい何かに触れたくなるのだろう。

 

そうして今日の私は、京都の見知らぬ場所へと足を運んだのだった。

 

電車から見る知らない景色や、知り合いに万が一も会うことのない空間。そういうのがたまらなく好きだったりする。

 

ネットで調べた隠れ家的銭湯の開店は15時で、時間を潰すために入った喫茶店だったが、気づけば2時間くらい居座っていた。

 

入店時には私以外の客もいなかったが、ちらほらと軽食を食べに来たご近所さん

たちでなんだかんだテーブルは埋まっていた。

 

ソーダフロートを頼んだが残念ながら炭酸ガス切れということで、なんとなー

く頼んだアイスティー。器が好みで味も美味しく満足している。

 

これから行く銭湯とその後の晩ご飯に期待は高まってはいるが、

ガッカリしないように予防線を張って澄ました顔で街を歩いてやろう。

 

方向音痴で辿り着けるのかは心配だが。

 

それでは。