平凡だということ

誰かの何かになるということ

日常に潜む宝箱

今週のお題「何して遊ぶ?」

 

 

世間はお休み真っ只中。もはや最終日。

私のGWどこ?と失踪したGWを喚く一定の人々を横目に、

静かに憤慨しながら訪れることのないGWを、私は探している。

大学生の頃も単位が道路に落ちていないかよく探したものだ。

これだから、今時の若いサービス業は!休むと言うことを知らんのか!と、休みを与えない諸悪の根源に、心の中で頭を丸めさせしっかりとグラウンドを50周走らせている。

 

仕事柄、長期の休暇はなく、三日ほど休むと仕事って何だったっけ?状態によく陥る。

職場に足を運んでやっとこさ、働いていた自覚が帰ってくる。

そんなハードワーク立ち仕事に慣れてはや3年。初期に比べると足腰も強くなった。

私の強靭に育ったふくらはぎでも悲鳴を上げるのだから、GWは大したものだ。

 

普段のオフの日というと、温泉サウナ、そして美味しいご飯!

この流れが私の人生の最強ムーブとなっている。

健康的で、何より脳から出る快楽物質の量が異常なのだ。

 

 

 

ただ今回のオフは例外だ。

 

GW中は本拠地にしている銭湯も客足が多いと予想される。

静かで人の少ない銭湯にこそ意味があるのに。ごった返しの日を引いた日なんかは

3割マイナスのご褒美に成り下がってしまう。しかしGW期間中のオフの日(1日)を無駄にはできまい。スーパーコンピュータを搭載した脳内会議で導き出された革新的な答え、それは敢えての運動だった。ちょうど帰省してきた高校時代の友人たちから誘いもあったし、

いい汗かいて心も体もリフレッシュの方向に切り替えてやったのだ。

 

 

 

 

言うまでもない。

 

イメージだけが先行し、体は想像の3テンポ後ろで仕事をしていた。

2年ぶりに触れたボールはなんだか硬かった。

 

大型犬を5匹ほど背に乗せて歩いていると錯覚するほど帰りの足は重く、

アクセルとブレーキの繰り返しが追い討ちをかけ、私のふくらはぎは役目を終えて旅立った。

帰りに食べたびっくりドンキーのハンバーグはそんな私を優しく慰め、包み、そして、

大盛りにしたご飯でしっかり撃沈させた。

 

オフとは休息を取るものだろう?なんだこの仕打ちは。私のぬくぬく温泉プランはどこへいった。脳内会議をした者達にフィードバックしてやる。

 

 

 

 

 

次の日、私の体には超ド級の筋肉痛と達成感があった。

 

両方呼んだ覚えはない。スポーツをすると毎回これだ。

執着するのはもう懲り懲りなのに、懐かしくもある気持ち。

日頃から動いていればだの、もっと練習すればもしかしてなどと、

錯覚を起こさせる例の悪い輩が脳内には生息している。妖怪ワンチャンだ。

学生の頃こいつにはよく悩まされたものだ。

 

こんなハードな運動にオフを使うなど、

私の理論では本来あり得ない。

 

しかし、友人たちのとの素敵な空間は

結局、この年になっても私の生きる手助けになってしまうようだった。

 

自分の心の少年っぷりに笑えた。

 

一人で得られる幸せや楽しみは予測できるし、

対価に比例して当然良いものになる。

 

しかしそれには上限が決まっている。

 

リスクリターンに見合う行動だけが人生ではなく、

日常に隠れる宝箱を見つける冒険も時には必要らしい。

 

たまにでいいけど。

 

それでは。