平凡だということ

誰かの何かになるということ

大切な人と別れたあなたへ

本当に辛い別れというのはきっと誰の人生にもある。

絶望の底に座って、光明を探す気力もない。

何をどうして生きていけば自分は楽になるのか。

 

本来、もっとも大切な人と過ごす時間ほど人生で有意義なものはないはずだ。

私たちがその価値に気づくのはいつだって終わってから。もう会えなくなってから。

綺麗事のように言葉がどんどん浮かぶのは最後のその瞬間になってから。

 

ネガティブな出来事を忘れようとするのは不可能だ。

孤独や不安はどこからも襲ってくる。

 

だからその自分ごと抱きしめる。

 

その人と過ごした記憶は言葉や見るもの聞くもの、または自分に全て宿ってまだ残る。

次の日から、その瞬間から忘れてまっさらな人生を生きるなど、常人の為せる業ではない。

 

それはきっと愛してなかったのだろう。

 

何かで紛らわす、誰かと笑う、酒を飲む、タバコを吸う、

1mmずつ時間は解決の方向へと自分を動かしていく。思いを滲ませて薄くするように、たくさんの他のものを浴びようとする。それもいいだろう。

 

しかし

 

行き場のない気持ちを、もしまだ受け止めてくれる人がこの世にいるならば吐き出してほしい。離れて初めて気づいたことがあるのならば、それを相手に伝えなくてはいけない。

それは寂しさを埋めるためではエゴでは無く、自分を省みることにつながるからだ。

 

もし伝える人がこの世にいても、いなくても、

 

心の底までしっかり沈み、目を閉じ、全てを隅々まで思い出す。

幸せな日々もそうじゃない瞬間も、スローで客観視する。

 

そうして最後に傲慢さ、後悔、悲しみが出揃ったら自分が見えてくるはずだ。

 

それはあらゆる意味で次に進む道を示してくれる。その答をどう使って自分の人生を生きていいくかはあなただけが決められることだ。

 

私もその一人だから。

 

強く美しくなってほしい。

 

それでは。