平凡だということ

誰かの何かになるということ

私の夏といえば

 

三日目のブログともなると少し慣れてくる。

 

いつも書くことなど決めておらず、

今まで生きてきて得た知見をギュッと凝縮してブログを書いている。

内容はエスプレッソ寄りで好ましいことだが、豆が尽きてしまいそうなのが懸念点だ。

 

本屋に駆け込みたくなったのは久しぶりの感覚だった。

 

そんな思いを察してソレはやってきたのか、今朝は珍しいことがあった。

似つかわしい体験を毎年しているので驚きはしなかったが。

 

今回は不真面目にそんな話を書こう。

 

 

 

 

---私が今のマンションに住みついて、記憶が正しければ20年は経つ。

特筆すべきことなど何もない、普通のマンションの4階の角部屋で暮らしている。

少し名前をぼかして以下ではホルツとでも呼ぼう。

 

夏になると、我らがホルツの廊下には小さな生き物たちがよく転がり込んでくる。

 

エンカウント率の集計をとったことはないが週 に2、3回は顔を合わせる。隣人より多い。

 

出現率堂々の1位はカナブンで二位は蝉。

そこからは3位タイなので割愛。

 

私はランキング別に取る行動を決めている。

 

子供の頃は男女問わず1度は虫を捕まえて遊ぶ。中学生になると女の子は急に虫を嫌うようになるが、あの現象に名前はあるのだろうか。私はそんなタイプではなかったので、今でも虫は恐怖の対象からは外れている。

 

しかし高速で飛ぶ煩い生き物は苦手なため、蝉が転がっていたら基本的にスルーしている。

 

カナブンは飛ぶし羽音は多少あるが、自身は鳴かずミュート状態なので怖くはない。

 

そして彼が廊下に転がっている時、9割は裏向き。かなり苦しそうに起き上がろうともがくが、状況を打破している者を見たことがない。一度ひっくり帰るとゲームオーバーというハードモードな人生を送っているように見える。

 

小学生の頃からそんな姿を見続け、いつしか私は起きる手助けをするようになっていた。

前回助けたのに今回スルーするのはなんか違うなと、廊下で謎の正義感が発動してしまう。

4階の高さまで飛行し、廊下で転がっているのだから切羽詰まってるのだなと思い、砂糖水や蜂蜜など何かしら好きそうなものも与えている。

 

彼らの間でその噂が広まったかのように、面白いくらいに夏は何度もカナブンレスキューをさせられている。ギブアンドギブ・フォーエバーくらいの関係性で。私が死んだ時、天国か地獄行きかの判断材料として、この話を持っていこうと心に決めている。

 

 

そんな私のもとに、今朝は飛べなくなった見たことない蝶がやってきていた。

指先に乗せると、蝶もしっかり掴まったので駐輪場の横の花壇まで一緒に降りることができた。知らない花の上に乗せてはやれたが、それ以上のことはできず仕事へ向かった。

 

蝶は何かのお告げだというが、何かを伝えたかったのだろうか。

 

ブログの購読読者の可能性もある。

 

次にあったときはコップに蜜でも入れて差し上げよう。

 

それでは。